地方自治経営学会茅野地区研究大会
平成18年10月26、27日 長野県茅野市 茅野市民館
テーマ 迫る地方財政危機〜その中での住民、福祉、教育
第1日 @対談「これからの地域福祉の展開」
茅野市長 矢崎 和広氏
諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實氏
A講演「教育委員会の存否問題〜現状と今後の方向」
前志木市長 穂坂 邦夫氏
B講演「地方分権と地方財政制度の動き」
総務省自治財政局地方債課長 平嶋 彰英氏
第2日 行政視察
茅野市こども館(子どもの居場所)ほか
(以下、文責はうちだにあります)
1.対談「これからの地域福祉の展開」
鎌田 32年前、東京から、組合立、茅野市が85%を負担する諏訪中央病院に請
われて赴任。当時脳卒中の死亡率は秋田が1位、長野が2位と高かった。
病院の評価は悪く、こちらのヤル気はあっても患者は来ない日々。
患者はたくさん薬をくれたり注射をされて安心するものだが、私は減ら
した。それでますます不評に。
市内80会場(公民館など)で予防勉強会、健康づくり運動を展開した。
当地では日本初の「デイケア」を実施した。お風呂にも入れない人、困
っている人がいても当時システムがない、ルールがない。でも諦めたくな
かった。ボランティアに支えられ、デイケアの第一号を実施。それを厚生
労働省が見て、現在の制度化の端緒となった。
私が60歳の時に始めて、今はもう85歳。利用者なのかサービス提供者
なのかわからないくらいだが(笑)、現在では医師会が主導で、このシステ
ムを展開してくれている。
以前、「世界一受けたい授業」という番組に出演した。そこで紹介した、
病室で一人のためのコンサート、というエピソード。温かな医療を目指す。
かつ地域の医療費を上げない努力。→これは病院だけではできない→地域
住民に支えてもらう必要がある。
矢崎
@ 95年に民間会社経験を経て市長に初当選。
地域医療は地域福祉につながらなければならない、保健・医療・福祉は
一体、と考えた。
市長になってカルチャーショックを受けた。それは役所のタテ割り。「こ
れがある限り、私の理念は実現できない」と感じた。そこで「福祉21ビー
ナスプラン」を策定、行政主導の時代は、ホンモノはできない、と考え→
パートナーシップのまちづくりを目指した。
「予算執行は市長、政策立案は市民」
このプランのもと、「実践する提言集団」である「茅野市の21世紀の福
祉を創る会」、メンバーも21人の市民が4年がかりで政策を立案。
保健・医療・福祉の拠点は市民の中になければならない、との考えから、
市内を中学校区単位に4エリアに分け、それぞれに拠点を設ける。
「タテ割り」を壊してこそできた「西部保健福祉サービスセンター」。
例えば、じいちゃんは痴呆だ、父はアル中だ、子どもは不登校だ、とい
う家庭のケース。役所の従来のタテ割りのもとでは、それぞれに担当課が
バラバラ。しかしこれを一体と見て対処する「トータルケアシステム」に。
→「より身近で」何でも相談できるワンストップサービスの仕組み。
これにより、市民一人当たり国保医療費、老人医療費は下降線に。
(年次推移の表が示される)
「支援は市がやる、応援は市民がやる」…共助の力を考え、サイズは中
学校単位とした。
市長の第一声、「陳情はやめようよ」。
官尊民卑はイヤ。市民と対等、協力の関係で。
「陳情」やめて「要望」に。
市長として、いつも市民と行政の真ん中にいよう、と決心。
「一点突破のまちづくり」という手法もあるが、私(矢崎)は、
福祉、環境、教育の3本柱に、国際化、情報化を加え、これらをトータ
ルに推し進める手法を取った。全体を上げないと、1点がつぶれると皆つ
ぶれると考えたから。
A 福祉事業の次に打った戦略、H7〜「美(び)サイクルちの」事業。
9種16分別を実施。古紙リサイクルネットワークは日本初。
市民から出される古紙→回収→大王製紙で新聞紙に再生→長野日報へ返
る→新聞になる→市民へ、のリサイクル。
B 子育て戦略「どんぐりプラン」
「市民がエッセンスを出し、それを組み立てるのは市職員」
保育園に入る前の子どもの居場所が必要。そこで大型店舗撤退のあとを
買い受け「茅野市こども館」1000uを開設。
館長、職員、パートの3人。あとは市民運営委員会が担当。
「役所が決めたらつまらない」
さらに中高生の居場所づくりとして「chino ランド チノチノ」を開設。
(これらは翌日、現地を見学、市長から直接説明もあった)
15:30〜17:30はコミュニティセンターが全館子ども館になる。
C 分野別市民ネットワークの構築
「情報化市民」の拡充へ「ちの市ドットネット」の構築。これは市民が
作ってくれた。→情報化ランキングで全国3位に。
現在、市民組織は35。各分野に多彩な展開。
「まちづくりの強さは、ゲリラ的」
そこにどういう支援をするかは、役所が考える。
→「たくましく やさしい茅野市」実現へ
質疑
@ 地区により、熱心なところとそうでないところで差はできないか?
10の地区のコミュニティセンター長は役所の部長級が配置されており、
コミュニティの事務局長的な役割を果たしている。
「まちづくりは拠点とシステムだ」
確かに、熱心な人がいなくなると活動は下火になる。
そこで、
分野別市民ネットワーク=センター長=コミュニティ
の強い連携システムが大事だ。
福祉、環境、教育を自助・共助で展開。
財政が厳しいからこそ、福祉、環境、教育なのだ。
A 政策立案を市民がやっても役所で「予算ありません」と言われる場合は?
役所から「50億でやってください」と。
役所はキャッチボールがヘタ。最初はとんでもないところにボールを投
げたりする。が、やがて上手になる。
また政策立案は「いっしょに汗をかいてくれる人」に頼む。
「実践する提言集団」…実践を前提に提言いただく。
「実践する人で組織する提言集団」
2.講演「教育委員会の存否問題〜現状と今後の方向」
○ 「いじめ」事象から見た教育委員会
いじめが起きる背景として、教員の資質、校長のリーダーシップ、先生
同士の連携、が指摘される。が、そのまた原因を考える必要がある。
市教委にとって先生は県からの「派遣社員」。だから教員養成に力が入ら
ない。県から市への派遣で、県も市も、教員養成に力が入らない、カネを
かけられない。
教員採用試験に合格して先生になる人は「すごく頭のいい人ばかり」。
その、採用試験時点での1次の成績がずっと後に響く。
そうではなく、2次試験はカウントゼロからすべきだ。人格、子ども好
き、人柄などの観点から。
○ フィンランドは「世界一、おちこぼれをなくす努力」をした。
先生にも子どもにも必要なのはコミュニケーション力で、そのためのク
ラスサイズを考え、志木市でも25人「程度」学級を実施。
○ 地方の学校で不祥事が出るたびに中央集権論が復活する。
国もマスコミもこぞってそうである。
徳富蘆花は「改革とは謀反である」と言った。
学校は国、県、市から「監視」され硬直化している。
依存体質、思考停止の状態である。
そこから、「他責文化」となっている。
これまでは国が「ひな型」を作って地方に下ろした。
しかし学校は、部品を作る工場ではない。
いかに個性を引き出すか。
おちこぼれを起こさないことに力を入れれば、結果として上位もさらに
伸びる。
○ 「責任者がいない」教育委員会の実体
教育委員長(座長)−教育長−教育委員会事務局
|
教育委員 教育委員 教育委員 …市長はカヤの外。
この仕組みでは、責任者が現場にいない。
この仕組みでは、システムが必ずねじ曲がる。
政治的中立のための「合議制」というが、本当にそうか?
教育予算を持っているのは市長…
○ レイマンコントロール
教委は閉鎖型から開放型になったというが、本当にそうか?
合議制の5人体制で、多様な意見が反映されるのか?
市長の「イキ」がかかった委員ばかりで編成することも可能。
現行制度は「神様の制度だ」。神様ならばまちがえず、うまくできる。
○ その他
「職員というのは、『前例』というものを取り除けば、これくらい優秀な
人はいない」
3.講演「地方分権と地方財政制度の動き」
○ 昨今の国の地方財政への考え方、取り組みなどの情報提供があった。
別添資料にパワーポイントの全画面あり。詳細省略。
4.行政視察
@ マリーローランサン美術館
信州蓼科高原に位置する茅野市の誇る芸術、文化施設。
館長自ら、われわれ一行を案内、作品の説明をいただく。
名刺交換、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館のことをアピール。賞賛いただ
いた。
作品展示への個人的な感動についてはここでは省略させていただく。
これらの幅広い個人コレクションが完成するまでのエピソードについて、
館長からお話あり。幸運も重なり、高価な作品もうまくコレクションでき
たことなど伺う。得た貴重な財産をいかに市民に展開し、喜んでいただく
か。丸亀市におけるミモカとは背景、条件とも異なるが、運営者の手腕に
より、いかようにも展開が可能と思った。
A尖石(とがりいし)縄文考古館
茅野市は蓼科高原の豊かな観光資源のほかに、5000年の歴史をたどる縄
文文化の故郷という歴史資源にも恵まれている。
館内には国宝土偶「縄文のビーナス」、重文土偶「仮面の女神」を中心に
ビジュアルに土器の展示などがなされていた。
館外には与助尾根遺跡の復元住居が点在。
豊かな自然景観の中、ゆったりと佇む考古館は、それ自体が景観のひと
つに溶け込み、また子どもづれほか知的満足に応えてくれる施設として非
常に意義深い。
以上、第2日午前に訪れた2個所はしばし現実の市政を忘れさせてくれる
ほどの魅力的な場所であり、茅野市の持つ観光、自然、歴史資源に圧倒され
る思いであったが、昼食をはさみ、第1日の会場であった「茅野市民館」と
駅舎をはさんで反対側にある駅前ビル「ベルビア」を訪問した午後は、いき
なり市政の現場に引き戻された。
B駅前ビル「ベルビア」再構築による「茅野市こども館」
エスカレーターを上がり、案内されると「0123」という赤字に白のあ
ざやかなエントランス壁面。「おいちにっさん」と読む。茅野市こども館の入
り口である。
駅前のテナントビルから大手デパートが撤収。それを市が買い取り、この
施設を開設。しかし重要なのはこのこと以前に茅野市が取り組んできた「市
民が主体」のまちづくりの系譜であり、それがあったからこそ、この施設は
ボランティアの手によって立派に運営がされている。施設の見学以前に、こ
のことを力説しておきたい。
H7 市長が地区ごとの「市長と語る会」で福祉プロジェクト設置を表明
9 「茅野市の21世紀の福祉を創る会」発足、その専門部会として、
「子育て部会」も発足
12 福祉21ビーナスプランを市長に報告
子ども・家庭支援市民ワーキング発足
13 アンケート調査やフォーラム開催
「子ども・家庭支援計画策定委員会」発足
議会がデパート一部を市で購入しこども館設置を議決
幼児期・学童期委員会、0〜幼児期委員会、思春期・青年期委員会
などさかんに議論が展開される
14 「0123広場」オープン
どんぐりネットワーク茅野設立
《いただいた資料より抜粋》
「子どもが生まれる前から18歳になるまでを一貫して、子どもとその家
庭の子育て、子育ちを応援していくための施設、また「遊び集う場」のひと
つとしての乳幼児期と思春期を中心にした「茅野市こども館」が誕生しまし
た」
詳細は添付の資料を参照してください。
以下は現地で市長自らが語ってくださった説明です。
・約1000u。ここは「屋根のある公園」です。
・市内の地区センターもこども館化しています。
・1日に80〜100組が訪れる。休日の来訪者は少ない。
・開館は10時から18時まで。
・常時3〜4人のスタッフ。保育士資格の館長。しかしここは保育所ではな
い。
・保育所前の子どもの居場所。
・茅野市に移り住んだあるお母さんからのメールが発端。雪の多い茅野市に
移り住んで、子どもは外で遊べない。部屋の中でノイローゼになりそう、
と。
・現在1万人の人が登録。茅野市外に出ている人も、里帰りのときに利用す
る。
・相談業務も行う。保健師、保育士が相談に乗る。
・教育委員会と市長部局がブリッジしたかたちで運営。タテ割りを打破。
・ボランティアが運営を支える。運営は役所が決めない。遊具もライオンズ
クラブなどから寄付あり。「役所が管理したらつまらなくなる」
5 感想
今回の視察は「行政経営学会」という催しでありました。
そこで一貫して語られたのは「市民」でありました。
行政の経営は市民を抜きにして考えられない。
いや、そうではなくて、本来市民のために行政経営がある、というごく当然のことに、
ようやく立ち戻ったのか、という印象です。
このあと付録として、資料でいただいた分厚い冊子の中から、注目すべき文言をピッ
クアップしてここに紹介しようと思いますが、そこに膨大な、今回の登壇者、前の志木市長、
穂坂氏の発言が出てきます。
ときあたかもこの報告を書いている最中、新聞報道で「教育委員会制度の改革」が
言われています。そこには「市町村教育委員会の統廃合」「県から市町村教育委員会へ
の権限の委譲」「教育委員の数の弾力化」などが挙げられており、それらはまさしく穂坂
氏の語るところそのままです。
「地方から国を変える」というテーゼそのままに、まさしく地方が市民の苦情も望みも
汲み取り、それを国に訴えていくという姿を、私ども視察者は目の当たりにする思いです。
登壇者たちには一人として、評論家はいませんでした。
たくあんばかり食べる習慣のために生活慣習病で寿命を縮めていたこの地に赴任した
医師の格闘、全国で初めて、「一年間も風呂に入ったことがない」という寝たきりの老人を
ボランティアでお風呂に入れてあげた、そういう制度の立ち上げ、県や国からバッシングを
受けながら地方改革の先鞭をふるった市長、そして私たちを前に「議員の皆さん、市長に
出ようとするならこれですよ」と、冗談を自信交じりに語る、どんぐりプラン創始者の市長。
歴戦の闘将ばかりがそろった集いでありました。
この視察に行かせていただいたのが10月。そしてその後、私(内田)が12月の議会で
副市長制度と部長制廃止について提言した背後には、この視察で受けたインパクトがあり
ました。立案しない役所は必要なく、立案しない役人はいてはならない、それがこの会合に
参加しての強烈な印象でした。
市役所の視線が県や国、いわゆる「上級官庁」に向かうのでなく、市民の方に向けられ
ている、この、ごく当然の地方政府のあり方に、いまさらながら発想をシフトさせてくれる会合。
これからは議会人の発想そのものもかくあらねばならない、とあらためて痛感するととも
に、こうした集いに市役所職員も何らかの形で関わり、啓発を受けていただきたい。せめて、
私はここでできるだけ詳細に報告し、このことの助力となるよう努めたつもりです。
この後紹介する穂坂氏の発言の中に、ご自身も「議員時代には視察に出かけて、あれも
これもと役所に要求し、行政の肥大化に加担した経験がある」との趣旨で苦衷を展開されて
います。
これらも踏まえ、これからの議会のあるべき姿、取るべきスタンスについて深く考えさせ
られた内容でありました。
6 付録:資料からのクリップ
(いただいた資料の1ページから順次ピックアップしたもので、体系的には
並んでいません)
@茅野市関連
・2000年4月に保健福祉サービスセンターが開設して以来、多彩な専門職によるチーム
アプローチが日常的になされることによって、家族を支え、一人の一生を多面的・継続的
に見守ることができるようになるなど、以前のような縦割り行政の弊害が確実に解消され
てきています。
・茅野市の平成16年度1人当たり老人医療費は、55万9580円であり、全国都道府県の
中で最低である長野県において、18市中最も低い額となっています。
・市民参加による「社協経営委員会」を設置。
・小地域活動・地区社協活動を重視するため、抜本的な社協組織再編を行うことによって
「市民主体の地域福祉の推進」を図っています。
A穂坂邦夫氏語録
・自己決定め自己責任がないところには創造性は発揮できず、現場にやる気も起こらない。
・教育委員会制度は住民にとって極めて分かりにくい。予算は首長が握っていて、教育委
員会は首長から独立している。教育委員会の独立は政治的中立性を守るためと説明され
れば言葉の上では分かるが、どのように独立しているのか。国の教育行政の責任者は
文科相だが、地方教育行政の責任者は誰なのかご存知だろうか。首長でもなく、教育長
でもない。教育委員会という合議機関なのである。教育委員長は委員会の座長でしか
なく、委員の一人である教育長は委員会の事務局長として決まったことを実行するだけ
の役割だ。
・(穂坂提言)首長を総括的責任者と位置づけ、直接的指揮権を禁止するとともに、教育
委員会に代えて20人以内で構成する教育審議会を新設し、地域とのつながりを強化
する。教育長を教育行政責任者とし、教育審議会は首長や教育長の独断専横を監視する
役目を担う。こうしたことを条例で明文化することが重要だ。
「県費負担教職員制度」を廃止。義務教育の実施主体でない都道府県が教員を採用
し、市町村に派遣している。この派遣制度をやめて、市町村が直接採用できるようにする
ということだ。実施主体に直接お金が交付され、学校長も採用に関与できるようになる
ので、自主的で創造的な教育行政や学校教育に貢献できる。
・(議会も予算編成を)議会側の予算案は、市側の案と市議会で議論して一本化し、年度
末の定例会で提案する。一本化のため、議場も市側と議員が討論できるよう両者の席を
設ける対面方式に改めるほか、一般質問の効果を高めるため、各市議の持ち時間内で
の回数制限も撤廃を検討する。
・(市民公募による公共事業検討委員会)市長が政策決定する前に検討委員会に判断を
ゆだね、検討委で必要ないと判断されたら市議会に議案として提案しないなどとする方向
で検討。
・役所仕事の95%は民間に任せられる。
・私は執行前に市民の意見に耳を傾けるのは当たり前のことだと思っています。これまで
は、行政が考えた計画は正しいとの思いが強く、執行権にモノをいわせて公共事業を進め
てきたのではないかと感じています。
素直に市民の意見を聞き、それをいかに執行権に活かしていくかは市長が自らに問え
ばいいのではないでしょうか。また、議会の議決権との関係では、議会が市民の選択を
どう判断していくかであり、その意味ではいい緊張関係が生まれるのではないかと期待し
ています。
・(志木市独自の市費教員採用で)教員採用に当たっては、当該校校長をはじめ、PTA
会長や学校評議員代表など学区住民も審査員となって、応募者の模擬授業や面接で
選考した。
・市長になって痛烈に感じるのは、市民と市の距離が遠いということです。行政は与える
もの、市民はもらうものというのではなく、もっと両者の一体感を出していきたい。市政に
「参画」してもらうのではなく、もっと直接的に市の業務を市民と「協働」するというのが
自立計画の骨子です。
・(市職員の削減について)プロパーである職員は部長と特別職ぐらいでいいと考えています。
・政策プロセスでボトムアップとよくいいますが、右肩上がりのときだったらともかく、政策
目標や目標設定はやはりリーダーがやるべきだと思います。
・(首長の「トップマネジメント」について具体的に押さえておくべきことは?との質問に)
民間とほとんど同じだと思っています。ただ、民間と違う点は、独占的サービス業であり、
市役所職員は終身雇用制ということです。ですから、市民サイドの視点を持つ職員を、
全部戦力として考えるということでなくてはならない。
職員に、もっと効率的で、市民がわかりやすい組織を考えさせる。職員が自分のふと
ころからお金が出ると思えばもっと使い道を考えるでしょう。
行政のトップの責任というのは結果責任とわかりやすい目標設定だと思っています。
・村会議員から国会議員まで議員の最大の目的は、選挙に勝つことです。そのために、
議員は、有権者に対して「バラ色の未来」を常に約束し続けなければなりません。国民
は国民で「専門家に任せておけば大丈夫」と自らその監視機能を放棄していますが、
財政悪化が自分の痛みとなって返ってくることが明確になるといっせいに批判します。
・もう市町村は自らの意志で歩き始めなければ、生き残ることはできません。制度面か
らの改革も確実にやってきます。改革の波はすでに押し寄せています。泳ぐことを知ら
なければ、広い海原に呑み込まれてしまいます。激動の時代に生き残るためには首長
も職員も議会も、従来の発想を転換し、住民と共に「地方の自立」に向かって行動しな
ければなりません。それは困難な作業ではなく「地方自治の本旨」に立ち返ることに
過ぎないのです。
・教育(education)の語源はラテン語ですが、その意味は「教える」ではなく「引き出す」
なのです。
・(教育委員会の真相)首長は「教育委員会が決めたことです」と言えばよいし、教育長
は「教育委員会が決めたことを執行しただけです」と言えばよい。教育委員長は「合議
制の委員会の決定で、私は単なる座長です」、校長は「県の辞令で来たばかりで、赴任
したときには既にこの施設ができていました」と言うことができる。しかし、民間企業や
私学でそのような責任のたらい回しをしていれば、すぐ潰れるでしょう。
・フィンランドのカリキュラムはとても自由で、例えば算数の不得意なグループには授業
時間を増やして、数学を教えるのが得意な先生が付く。そのように現場の創意を大事に
しています。
・リストラが不可能に近い公務員制度において、退職者の補充を行いながらアウトソーシ
ングを実施した従前の手法は運営経費を増大させ、何の効果もない。
・かつて空港や橋の建設は完成させることが目的であり成果だったが、現在では「投資
額(費用)とその効果」を厳しく予測することが必要だし、完成後も安全性の確保とともに
利用頻度の検証が必要だ。最小の費用で最大の効果を上げるためには、公務の領域
や担い手についても、例外なく住民の視点に立った検証が必要なのだ。
・(自らの議員時代からの反省)30年にもおよぶ議員生活では、(中略)人口が増加し現
在の中国のように経済成長率も高かった時代で、私自身も行政は決して沈むことのない
不沈艦だと錯覚し続けてきました。力の強い「要請受付型議員」を目指し、行政に強い
影響力を持つことが議員としての第一人者という誤った認識です。(中略)さまざまな住民
要求や他市や他県で行っている多様な施策の導入を執行部に働きかけ、地域の個性を
無視した無定見な行政の肥大化にも大きな影響を与えてきました。今考えますと、地方
自治体は政治哲学を除くと一般企業と共通するサービス企業であり、地域の個性に合わ
せた一定の方向性や合理性を求めるべきで、議員としてはまさに失格です。
・自治体のリーダーである首長はもとより、議決権を持ち監視機能や牽制機能に甘んじ
ていた議会も、自治体の力の源泉である地方行政職員も、それぞれの立場で一般企業
はすでに成し終えている抜本的な構造改革に取り組まなければなりません。
・行政の肥大化を招いた要因は首長にも議会にも職員にもありましたが、最大の原因
はタックスペイヤーでありオーナーである住民の方々で、「あれもやれ、これもやれ、
人を増やせ」と言い続け、行政の効率化や合理性にはまったく目を向けない姿勢です。
しかし、住民にとっては委任したプロ集団が「うまくやるはずだ」と思っていたことも事実
です。
・人間の意識は不思議で、「前例どおりに実施することが正しい」と思いますとすべてが
ルーテインワークとなり、脳の活動は停止状態に近くなりますが、すべての仕組みや
業務の形態、手順など「前例を排除したゼロからのスタート」と考えますと、どんな人でも
脳細胞が活性化し、動き出すと言われています。
・大目標の設定はリーダーの役割ですが、実行に移すためには職員の力が必要です。
志木市の職員はさまざまな行政分野で改革の力を遺憾なく発揮してきました。特に「特
区申請」では地方が苦手と言われる法務能力を十分に発揮し、自信をもって国の官僚と
議論を展開する職員の力を随所に見てきました。
・改革には必ずリスクが伴います。しかし、リスクを越えなければ入浴中のお湯のように
ぬるま湯から冷水へと変わりつつある現在、飛び出さなければ凍りついてしまいます。
地方自治体は大きな危機とチャンスに直面しています。
・本当の抵抗勢力は国会議員ではなく、実務を熟知した役人です。
・わが国の行政経費は租税収入をはるかに超える150兆円で、そのうち地方自治体は
国家の1.5倍という、世界でも類のない巨大な地方政府として90兆円もの運営経費を
要しています。しかし各政府間(国・県・市)の中に潜む権限の錯綜や業務の重複、
1200万人の東京都と1万人の町が同じ制度で運営されるという、諸外国には無い異
様な地方制度が膨大な冗費を生んでいます。前例に固執し、誰もが意識しないムダ
遣いほど多額で危険なことはありません。住民のお任せ民主主義による無関心の
ツケは、すべて住民自身が背負うことになります。
・(道州制について)地方自治法第1条は、国と地方の役割分担と事務や機能の配分
を定めている。住民に身近な行政はできる限り地方公共団体に委ね、国の役割を
外交・防衛、司法・通貨管理、生活保護や労働条件の基準、公的年金、骨格的な
交通基盤の整備など三つのカテゴリーに分類し、限定している。道州制は現行自治
法の適正な具現化にすぎない。…言わば国と地方の再構築が道州制なのである。
・自治法の第1条で自立性を明確に保障しながら細部に至るまで規定しているのは、
不可思議と言わざるを得ない。…人口1200万人の大都市も1万人の町も同じ組織
形態や制度で拘束する現行制度は、合理性や効率性に欠けるばかりか小規模自治
体の住民参加や協働を阻害し、自由な都市経営を著しく制限させている。
・地方税を国が決定していることも不可思議である。
・市町村や都道府県の広域連合は政策決定の透明性が低く、責任の所在も希薄で
論外と言わざるを得ない。地方制度調査会の答申の通り、47都道府県を解体し、
道州制への移行が急務である。
・地方自治制度のご破算による出直しは地方自治法第1条の適格な実施と明確で
大胆な分権による道州制の導入で完結する。地方自治制度の再生は決して高い山
を越える必要はなく、地方自治法の第1条を忠実に実行することで、すべてが解決
する。高齢化は進み消費税のアップなど増税は避けて通れない道筋だが、国民に
負担を求める以上は少なくとも将来のあるべき姿を実行に移し、国民に明らかにする
ことが国と地方の責務である。地方自治制度の出直しは既得権の排除と国と地方の
意識改革で成しうる、低い山を越える極めて安易な事業に過ぎない。
・住民に「自律」を求めなければ、地方の自立はできない。
・(行政の)肥大化の原因は、住民の無関心と行政の閉鎖性、要請甘受型の体質に
あるが、これは「他人のお金」意識がなせる結果以外のなにものでもない。ゆえに、
安易に改革手法を事業のスクラップや住民負担の増加だけに求めると失敗する。
つまり、根本原因であるこうした体質を変える「土台づくり」を最優先しなければならない。
・改革の過程で参考にすべきは、カナダ連邦政府の予算査定における6つのテスト
である。そこでは5項目のテストをパスした最後に「税収の範囲内で実施するために
この事業の優先順位は正しいか。実施する場合、住民は新たな負担増を受け入れ
るかどうか」という判断項目があり、オーナーの意向を最大限重視している。
・団塊の世代が地域に対する力を発揮するためには、受入態勢を構築する行政の
強いリーダーシップが必要です。第一に道標の設置です。地域のボランティアやNP
Oなど様々なグループの紹介や参加へのすすめです。第二点は「行政への参加と
協働」の呼びかけです。従来のような、行政の原案を追認するような審議会方式や
「単に意見を聞くだけ」の使い捨て方式の参加では十分な実績とプライドを持つ彼等
に拒否されてしまいます。「住民が自治体のオーナー」であることを行政自身が自覚
し、徹底した情報の公開と新たなシステムを構築しなければなりません。第三点は
PRの方策です。広報紙や公共施設の活用は時代遅れです。団塊の世代に広報紙
を読む習慣はありませんし、公共施設は既に参加している方々の利用で「新規顧客
の開拓」は望めません。前例を捨て、近くのハローワークなどでのビラ配り、あるいは
広報車の活用です。開店のPRや政党における遊説活動を参考にすれば一目瞭然
です。
・志木市長時代の実績から、キーワードを抜粋
(25人程度学級など大きな成果とは別に、内田が注目した項目だけをここにピ
ックアップします)
○市民委員会は公募により252人でスタート。すべてボランティア。各部会
ごとに原則として月1回開催。
○市民委員会が志木市の予算を編成。従来の事業要求型予算編成」から「事
業選択型予算編成」へ。
○縦割り行政の弊害を排除するため、政策課題を検討するワーキンググルー
プを各課若手職員で構成を義務付け。
○市長ウィークリー講座。市長が講師職員の意識改革をねらい、1年を通じ
て職階ごとに15人ずつ開催。
○特定公共事業実施検討委員会を町内会連合会長らで構成。地域内分権を視
野に、新たな住民参加方式をねらう。
○利用者の視点を大切に。国民健康保険証の個人別交付。
・議会に執行権がないため、質疑を通じて提案権は確保されておらず、一方で市民
要望による行政サービス財源は、執行機関に委ねられていることから、議会と長の
力関係によって、無秩序な財政の肥大化や議会の形骸化と混乱が生じています。
・議会が「提案権」から「チェック機能」のみに変質し、提案機能の一つと言われる「一
般質問」等も、ややもすれば「不毛の論議」になりかねず、多大な経費を要する市長職
と議員職を、機能的、効率的に再構築すべきである。
・(1期4年間で完全燃焼)否決されたとしても、提案しておけば、あとになって昔、こう
いうのがあったからやってみようか、となる。
・(Q:アイデアを次々と打ち出した理由は?)新聞などで大きく取り上げられることで、
市政に無関心な市民にアピールするのが狙いだった。市民が行政に目を向けないと
民主主義は絶対に育たない。「市町村は国が動かないと何もできない」と考えている
市民を引きつけ、市職員に「自分たちの仕事が新聞のトップを飾れるんだ」という誇りを
生む必要があった。
・(記者の目から見た穂坂氏)「おれはすぐに忘れちゃうから」とほほ笑むが、メモは朝
だけで5回ほど、1日では10回以上にも上る。これが毎日。その中から政策に結びつき
そうなものは随時、30案ほどまとめて実施可能かどうか職員に諮る。4年間で具体化
した100近くのアイデアは、ほんの一部に過ぎない。
会費500円で夕食をしながら20人前後と意見交換するワンコイン会議など、穂坂と
職員の交流は4年間続いている。
改革を“苦”に思わない職員が根付いてきた。
・(議会で否決された背景)その原因は「根回し」の欠如だった。議案化された市長のア
イデア。一般的には最終決定する議会へ提出前に議員に示して説明し、ある程度反応
や見通しを判断するが、穂坂はそれを嫌った。
B付録の付録、片山善博鳥取県知事のコラムより
・地方債に対する国の関与が、自治体の財政破綻を防止するのではなく、逆に破綻の
原因を作った面があることを認識しておかなければならない。
財政を破綻させないためにまず必要なのは当事者の自律心だ。ところが、なまじ国が
地方債に関与していることから、本来ハラハラしなければならないはずの住民や議会に、
無関心や国任せの風潮が見られるのである。当事者の自律心が欠けているところに
自立も自治もありえない。破綻法制の整備に併せて、地方債に対する国の関与を撤廃
すべきだと筆者が訴える所以である。
(夕張市について)議会は今まで何をしていたのか。執行部が提出する予算や決算を、
住民の代表として厳しくチェックするのが議会の最も重要なミッションではないのか。
誰でも見抜ける巨額の粉飾を見過ごしていた議会の無能には呆れるばかりだ。
大阪市の場合もそうだが、いまさら議会の存在意義が問われるようでは、地方分権
や自治体の自立など覚束ない。そもそも地方分権とは、これまで国が決めていた事柄
を自治体が決める仕組みに変換することで、自治体が決めるとはすなわち議会が責任
を持って決めることにほかならないからだ。最終決定権者にふさわしい力量と賢明さを
備えた議会が全国にどれほどあるか。広く自治体議会の現状に鑑みると、破綻法制の
整備に先んじてむしろ議会制度の改革にこそ着手すべきだろう。
C付録の付録、松沢神奈川県知事の言葉
・道州制というのは地方自治制度であるのと同時にこの国の統治機構、仕組みを「小さな
中央政府と活力ある地方政府」というようにその枠組みを大転換するものだ。いわば国の
形態を変える大構造改革だ。道州制とともに霞ヶ関を解体する、そのような視点を持って
いないと単に都道府県制を変えるというだけのような捉え方になってしまって極めて弱い。